リストカット、聞いたことありますか?
リストカットという言葉が一般的になったのはいつだろう?
少なくとも私の生活環境では2000年前には聞かなかったと思う。しかし、自傷行為は人間を含む動物にとってある種、マイノリティでありながらも当たり前とも言える行為だと思う。
日本語版のWikipediaによると、以下のように記載されている。
1960年代から、アメリカでリストカットが流行し、1972年にはRosenthalらが、wrist-cutting syndromeと初めて記載したとされる[2]。
日本では手首 (wrist) を切る (cut) ことからリストカットと呼ばれる。これを略して「リスカ」と呼ばれることもある[3]。リスカをする者の事は「リストカッター」または「リスカー」と呼ぶことがある[4][5]。
また、リストカットに関連して、顔を刃物で傷つける行為をフェイスカット[6]、 腕を刃物で傷つける行為をアームカット(略して「アムカ」)[3]、脚を刃物で傷つける行為をレッグカット(略して「レグカ」)という[3]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%88

言葉自体は昔からあったのだろうか。専門家の間では知られていたのかもしれない。
私がリストカットをリストカットと知らずにそのキャリアをスタートしたのは、1990年代後半あたりだったか。ノストラダムスの大予言と2000年問題が世間を騒がせた時代だったかな。
Googleトレンドを見ると、リストカットという言葉のトレンドの傾向が分からなかった(Googleトレンドの最古の年は2004年なので、それ以前の情報は得られないが)。


余談だが、完全自殺マニュアルが発行されたのが1993年らしい。自殺のコストは2015年。
インターネットに救われた
話はリストカットに戻るが、私のリストカットが周囲に本格的に知られたのは2005年前あたりだったか、そのあたりだったか。リストカットという言葉も知っている人は知っているという時代になっていたように思える。
というのも、当時、mixiが流行りだしたことで、少し救われた時代があったからだ。
Googleトレンドで設定できる最古の年が2004年なのだが、まさに、この頃が個人的にミクシィが流行りだした頃だった。

当時、友人に誘われて始めたミクシィだったが、現実の友人関係だけではなく、現実で話せない事を話せる、会った事もない知り合いもできた。
それが、同じ悩みを抱える人たちだった。当時はまだ鬱を病気と捉える人が当人でさえ自覚できないくらいの認知度だったように思う(これはファッションリスカにも通ずることで、後述する)。もちろん通院して薬をもらっている人もいたし、自分もそうだったし、仲良くしてくれた人も、そうだった。
その人とは、実際に会う事はできなかったけど、連絡先を交換してメールをやり取りしたり、手紙を送ったりもした。
ネットは怖いというのは、むやみやたらに使ったらその通りなのだが、今思うと、mixiが合った事で、似たような悩みを抱える人知り合え、助けてもらえたのは非常に有難い事だったし、なんともいえない感情がまだある。本当に、出会えてよかったと思える人がいた。そういう経験を持った人は私だけではないと思う。
いい人に恵まれたわけだが、自傷行為が完全に収まる事はなく、時期時期によって波があり、長期的に見て下方トレンドだったがそれは今思えばの事で、やはりまだ常習であった。
これも別で書きたいのだが、人格障害というものも影響していたのだろうし、年齢も、環境も影響していたのだろうと思う。
私は長年、鬱や自傷行為をはじめ、自分を取り巻く精神の異常について、考えてきました。
10代~20代前半までは、あくまで考察の主体は自分で、考察の目的も、自分の生きづらさに対する解を見出すため行動だったわけですが、年齢を重ねるとともに、客観的に考察することが増えてきたように思います。
自傷行為やこの行為に関連する行動や思考の原因は何なのか?という事について、客観的に調べたりすることが増えてきました。
そんな中で、これまで、リストカットやファッションリスカという言葉や現象について、考えされられる事が何度かありました。
それは、仕事も含めて、自傷行為を行う人に間接的に触れる機会があったり、そのような行為を行う人への意見を聞いたりする事が増えた事も理由のひとつです。
まだ頭の中が全くと言っていいほど整理できてはいないのですが、書いてみます。
田舎育ちは虫に耐性があるけど、都会人は虫を気持ち悪がる挙動に似ている
まず、リストカットとファッションリスカについてです。
多くの人にとって、リストカットは未知すぎて怖かったり、気味が悪かったり、迷惑だったりするんだと思う。
いきなり余談ですが、まず始めに言っておきたいのが、リストカットという言葉そのものに対して、私は良い印象を持っていません。自分の腕を切りつけるという行為は、苦しみにもがく人間が何とか生き抜くための行為でもあるわけですが、そのような行為に対して、いささかカジュアルな印象を持たせてしまうように思えてならないからです。
とはいえ、分かりやすいように、本サイトや当記事では、リストカットという名称も使います。
さらに余談ですが、同じように、メンヘラという言葉も嫌いです。
うつ病を心の病とか、心の風邪とかいう風潮も嫌いです。
話がそれました。
リストカットは、それを見る人にとっては、きっと未知すぎるんだと思います。
そもそも、何なのかが分からないし、見る事も少ない。仮に、何故そんなことをするのかを理解していなくても、リストカットをしてしまう人を目にする機会が増えたり、さらには職場や学校などで行動を共にする機会が増えれば、リストカットという行為自体は理解出来なくとも、気味悪がる人は減ると思う。これは単純に慣れの問題だと思います。
生粋の都会育ちの人が、虫に対して、過度の恐怖や嫌悪感を覚えるのと一緒かなと。
実際に、そのような挙動をする人を目の当たりにする事もしばしばありました。
口に出して「キモい」という人もいました。
やっぱり理解の範疇を超えると、こういう捉えられ方をするんだろうなと。
それが障害や精神疾患ゆえの行為であると認識できたとしても、自分が経験したことがない場合は、やっぱりそう捉えれるのもしょうがないのかなとも。
スポーツが得意な人が、そうでない人に対して、「なんでもっと練習しないんだよ」とか言うのにも似てるような気がする。
少し考え方の角度は変わるが、メンヘラという単語が発明され、「頭のおかしない人」をひとくくりにして、嘲笑する風潮も、リストカットに苦しむ人、というか精神疾患に苦しむ人たちを、さらに苦しめる要因だと思う。
これはまた別途整理してみたいなあと思っています。
ファッションとしてのリストカット
さて、一方で、リストカットを行う人たちが気味悪がられる要因も考えてみる。
自傷行為は、いろんな目的があって至る行為だと思うのだけど、助けを求める手段のひとつでもある、と思う。毎回それが目的ではないにしても。
助けを求めるためには、自傷行為の結果を、誰かに見てもらって、心配してほしいという感情もあると思う。自分はあったし、今もそう思う事はある。
だけど、見せられた側からしたら、それも未知すぎて反応できない事だってあるでしょう。
「何で見せてくるの?」と感じる事もあるだろうし、見せてこないにしても「なんで隠さないの」と思う事もあるでしょう。
訳が分からないので、気味が悪い。
それでも、助けてくれって叫ぶ代わりに、自分を見てくれと、そういう思いを持つ人は、ネットに載せたりもするわけで。それがさらに、自傷行為側とそうでない側の温度差を生み出してきたように思う。
ファッション的な側面についても考えてみたい。
これは、純粋にファッションとして楽しんでいる人もいるのかもしれないけれど(個人的にはいないと思うけれど)、悩みを抱える人たちなりの手段でもあると思う。
病みかわいいとか、地雷系ファッションとか、病みメイクとか、ありますよね。こういう単語が登場する前から、こういうトレンドというか、行動はあったと思う。
正直、私は純粋にファッションとして楽しんでいる人と話したことがないので、100%ファッション目線で理解する事ができません。なので、詳しい方がいればぜひお話を聞かせてほしいです。
ちょっとまとめるのが難しですね…やはり。
だいぶ昔に、中二病という単語が発明されましたが、この単語は、「苦悩を抱える主人公に共感する人たち」も含んでいると思う。
「闇を抱えたあいつ、苦悩にもがきながらも生きるさま、かっこいい」という憧れ的な感情ってあると思います。
この憧れが、ファッションにも反映されてると思う。
そして、その憧れになるためのファッションの中に、「苦悩を表す表現としてのリストカット」も含まれるようになり、ネットを通じて拡散され、模倣をする人も増えたのではないでしょうか。それで、「量産」といったような揶揄する言葉も生まれてしまったような。
これにより、もしかしたら「全く何も悩みはないのだが、純粋にファッションとして、リストカットをしている人」も登場したのかもしれない。
でも、個人的にはそんな人はいないんじゃないかな、と。ハロウィンとかで、傷メイクする人はいると思うんだけど。
私としては、病み系のファッションが広まったから、逆に、助けてという声を上げやすくなった結果、リストカットを目にする機会が増えたのでは、と思ったりもするわけです。
また、それとは別に、自傷行為はまったくしないものの、病みかわいいに共感して、メイクやファッションに取り入れる人たちはもしかしたら、自分では気づいていないけれど、何かしら人に言えない苦悩を抱えている可能性もあるのではないかと思ったりもします。
どうでしょうか?
本記事とはあまり関係性がないかもしれませんが、先に挙げました単語のGoogleトレンドの結果も掲載します。



鬱屈した感情が漏れだしてきている?
インターネットというコミュニケーション技術の発達と、苦悩をファッションに昇華した若者の発明によって、リストカットを目にする機会が昔より増えたのかもしれない。少なくとも、この単語や行為の認知が広まったのは確かです。
だから、結構、みんなこれまで言えなかった、助けてっていう感情を、外に出しやすくなったんじゃないかなと。よくも悪くも。
ただ、実際に声に出したり、周囲に助けを求めたりする事は難しいと思うので、あくまで水面下での咆哮のようにも思えますが。
自傷行為が、鬱みたいに、もっと大衆に認知されるようになるのかな
ひと昔前までは、うつ病は、たるんでる人みたいな扱いを受けていたが、それが実が病気であり、体の異常である事が一般的に知られてきました。
ケアされるべき体の現象になってきたし、誰でもなり得るものだと理解されるようになってきました。
同じように、リストカットも、変な目で見られる対象から、ケアされるべき対象になっていくのかな。
もちろん今でもケアされるべき対象として捉えられているけれど、もっとオープンになっていくのかなぁ。
すごい優しくて気配りできる人だなって思っていた人でも、仕事が出来てすごいなって思っていた人でも、鬱やリストカットに対して、驚くべき反応をしたりするからなぁ。
どうなんだろ。
まとまらなかった。
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