ヒトは物事にラベルを貼りたがるし、それがいい場合も悪い場合もあるよ、という話を書こうと思っていたら、方向性がずれた。
私が自分の生きづらさの原因を少しだけ理解するまでの道のりをつらつらと書こうと思う。1記事で書くには時間と体力が必要なので分割するが、今回はその1回目。
うつ病、パーソナリティー障害、双極性障害、発達障害。これらのミックスがワタシだ。こう自己診断できるようになるまで相当な年月を要した。生きづらいのに、普通だと思われるし、普通だと振舞おうとしてしまうのがとても辛い。
ネガティブな方向に誤解してほしくないけど、「Pは障碍者」と認定された方が、幾分心が安らかになるんだろうなと思う事がたくさんある。
面白くない上司の話に無理やり笑いながら聞き続けたり、オフィスが暑すぎるのに誰もエアコンの温度を下げないから何もできずに汗だくで仕事をしたり、そんなのと似ている。
これまで多くの精神科や心療内科を受診してきたけど、「あなたはこういう病気・障害だと思います」と診断されたことがない。
私は中学生の頃からリストカットをしていた。当時は本当にひっかき傷程度の自傷行為だったが、少しずつ程度が増していって、もう自己治癒では傷跡が消える事はない。当時は手首や腕などを切る行為をリストカットと言うと知らなかったし、言葉自体も無かったのではないかと思う。当然、自傷行為という言葉も知らなかった。中学生なので当たり前だが。
こういう自傷行為の理由は、色々あると思う(余談だが、私はリストカットという言葉が、その行為をする人間を軽んじているように感じてしまって好きではないので、基本的には自傷行為という言葉を使っています)。
イライラをぶつける場所がなくて自分を傷つける、死にたくて傷つける、悲しみを紛らわせたくて傷つける、自分が無価値に感じられて、無価値であることをより自覚するために傷つける。ほかにもあると思うが、実際に自傷行為の瞬間にならないとその思いが思い出せない。
自傷行為の後は、傷と血を見る事で、落ち着くという事は、よく言われている事だが、実際そうだと思う。パンクしそうな感情や、気持ち悪さや居心地の悪さ、胸のあたりにうごめくドロドロとしたものが、非常にゆっくりだけど流れ出てくれる感じがする。
傷を見て、「こんなに頑張って生きている」と、自分を励ますこともある。
大学生の頃は、「完全自殺マニュアル」や「自殺のコスト」という本も読んでいて、そこに紹介されていた抗うつ薬も飲んでいたのを覚えている。薬の名前は憶えていないが、ファイザーの黄色いカプセルだか、黄色い粉の薬だったと思う。普通に薬局で購入できたし、購入数にも制限などなかった。煙草を吸いながら、アルコールと一緒に飲んで、自傷行為をして、自らを慰めるという行為をしていたのを覚えている。煙草もお酒も薬も、自暴自棄で行う事はすべてリストカットと変わらない自傷行為だと思う。
そういえば、この本(どちらか忘れたが)で、SSRI(セロトニン選択的再取り込み阻害薬)やSNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)の違いについて知る事になった。ここから、色々と薬の効能などについても興味を持つようになったと思う。
自傷行為の話になってしまったけど、とにかく、こんな感じの性癖があって、体調が良くない時は、生きている事が本当に辛くて、他人が羨ましくて、息苦しくて、でもそれを表に出せなくて、「なんかおかしい」「これが鬱病なのか」と思うようになったのが大学生の頃だ。
それで、病院に行った。初めて心(というか実際は脳の障害だと思うが)の病気で病院に行った。
その病院で、自分が自傷行為をしている事、生きているのが辛い事、辛い感情を誰にも言えない事などを、話した。
今思えば、その病院はとても丁寧な対応をしてくれたと思う。落ち着いた、経験豊富で優しそうな女性の先生で、思い出せないが、いくつか検査をしたことは覚えている。そして、抗うつ薬と睡眠導入剤を処方され、それでしばらく様子を見る事になった。
人生初めての精神科・心療内科で緊張していたが、人当たりの良い先生で良かったんだけど、結局診断はされなかったと思う。かなり朧気だけど。当時は、特に「あなたはこういう病気・障害だからこのような治療をしていきましょう」と言われなかった事に対して、何も感じなかった。この手の病は確定するのが難しいし、時間や環境で変化したり、診断が変わったりするだろうし、それもそれでしょうがない。
継続して通えなかったのも問題だったと思う。正直、薬の効果を劇的に感じられなかったからだ。睡眠導入剤は睡眠の質を上げたと思うが、抗うつ薬に関しては、眠気を誘うくらいで、日々の心持ちに変化があったとは思えなかった。そんなこともあり、行くのが面倒になったのだった。
しかし、生きづらさが解消されることはなく、社会人になっても病院を転々とした。
特に、大学卒業後の初めての職場では、典型的なうつ病になった。職場の多くの人間と反りが合わず、お酒と煙草の量が増えたと思う。対して歳の変わらない人間らに小言を言われ続けて、出社ができなくなった。
結局、休職、復職、退職という流れになったのだが、その間に通った病院でも、病名を言われることはなく、ただ抗うつ薬を処方されるだけだった。今思えば、この時こそ the鬱 だったのに。
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